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	<title>イスラエル | 護国.net〜中台軍事兵器、etc</title>
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	<description>公開情報を元に中台軍事兵器を中心に投稿します。</description>
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		<title>イスラエル空軍②</title>
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		<dc:creator><![CDATA[chikumade233]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 06 Sep 2025 15:13:29 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[イスラエル]]></category>
		<category><![CDATA[未完計画機]]></category>
		<category><![CDATA[LAVI]]></category>
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					<description><![CDATA[未完の独自開発機”ＩＡＩ　ＬＡＶＩ”　 イスラエル空軍運用機の変遷　１９４８年５月１４日の建国直後から第一次〜第四次中東戦争を戦い抜いてきたイスラエルは１９７０年代後半くらいから軽量戦闘機の独自開発を考えるようになりまし [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<h2 class="wp-block-heading">未完の独自開発機”ＩＡＩ　ＬＡＶＩ”　</h2>



<p class="wp-block-paragraph"><strong>イスラエル空軍運用機の変遷</strong><br>　１９４８年５月１４日の建国直後から第一次〜第四次中東戦争を戦い抜いてきたイスラエルは１９７０年代後半くらいから軽量戦闘機の独自開発を考えるようになりました。周囲を敵対するアラブ諸国に囲まれ、国土も狭いイスラエルは空軍戦力の相当の優位性を確保することは極めて重要で、それまでの空軍戦力は他国からの購入が基本であり、個々の戦闘機について比較しても敵対国のそれとの性能差も限定的であったため独自開発戦闘機を意図するようになったのも当然と言えるかもしれません。<br>　建国直後の第一次中東戦争はチェコスロバキアからアビアＳ１９９を受領。これはメッサーシュミットＢｆ１０９戦闘機ベースでエンジンをダイムラー・ベンツＤＢ６０５をユモ２１１Ｆに改装した機種です。他、同じくチェコスロバキアから受領したスーパーマリン・スピットファイアＭｋ．Ⅸ、ノースアメリカンＰ‐５１ムスタングといった機種がイスラエル空軍の中核を担いました。<br>　その後イギリスのグロスター・ミーティア等の供与の後、１９５６年にはダッソー・ミステラールを受領して、フランスからの供与依存が１０年程続きました。１９６１年〜１９６９年にはダッソー・ミラージュⅢ単座型（Ｃ型）７２機、複座型（Ｂ型）５機を受領。ミラージュⅢは第三次中東戦争、第四次中東戦争で敵機５機以上を撃墜したエースパイロットが複数誕生するなどイスラエル空軍で成果を挙げることになりました。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img fetchpriority="high" decoding="async" width="576" height="432" src="https://yskb6181.com/wp-content/uploads/2025/08/Mirage3.jpg" alt="" class="wp-image-975" style="aspect-ratio:16/9;object-fit:cover" srcset="https://yskb6181.com/wp-content/uploads/2025/08/Mirage3.jpg 576w, https://yskb6181.com/wp-content/uploads/2025/08/Mirage3-300x225.jpg 300w" sizes="(max-width: 576px) 100vw, 576px" /><figcaption class="wp-element-caption">13個の撃墜マークを付けたミラージュⅢＣＪ”１５９”（wikimedia)</figcaption></figure>



<p class="wp-block-paragraph">　１９６６年にはミラージュⅢに続いて”昼間地上攻撃型”ミラージュ５（単座型５Ｊ／複座型５ＤＪ）を５０機程発注しましたが、１９６９年にフランスのシャルル・ド・ゴール政権はオイルマネーを背景としたアラブ諸国の圧力によりミラージュ５等のイスラエルへの武器禁輸政策をとりました。<br>　フランスからの武器禁輸措置によりＡ−４スカイホーク、Ｆ‐４ファントムといったアメリカからの戦闘機の購入を進める一方で、イスラエルは”ライセンス生産許可の無いミラージュのコピー戦闘機”の生産に乗り出しました。<br>　１９５３年設立の航空機製造国営企業のイスラエル・エアクラフト・インダストリーズ社（現イスラエル・エアロスペース・インダストリーズ社　”ＩＡＩ”）を中心にミラージュⅢ、搭載するアター９Ｃエンジンをコピーしてミラージュ５に準じた”ＩＡＩネシェル”と呼称される機体を国産化しました。コピー生産に際しての技術情報はスイス技術者からの入手、イスラエル諜報機関モサドの関与もあったとされています。”ＩＡＩネシェル”は１９６９年９月に初飛行、１９７１年５月にイスラエル空軍に引き渡され、１９７８年の終了まで６０機程生産されました。<br>　さらにイスラエルはミラージュⅢ／５をベースにエンジンをより強力なＦ‐４Ｅファントムが搭載したゼネラル・エレクトリック製Ｊ７９に換装した”クフィルＣ２”を開発、１９７５年から生産を開始しました。<br><strong>軽量戦闘機独自開発へ</strong><br> 　ミラージュのコピー生産等を進めていた傍ら、軍需品を特定国に頼る事を問題視したイスラエルは１９７０年代に戦闘機の独自開発に乗り出しました。旧式化したＡ‐４等を置き換える為の”戦闘爆撃機を自国開発する”野心的計画です。当時の周辺中東諸国にもアメリカ他西側の航空機は導入されていましたから、それと差別化する意図もあったことでしょう。開発コストが約７億５０００万ドルで１機当たりの価格は７００万ドルと見積もられました。その主任務は近接航空支援（ＣＡＳ）と戦場航空阻止任務（ＢＡＩ）、二次的には空対空戦闘についても付与するとされました。１９７９年にラビ計画は１９８０年２月に始動することが明らかにされました。<br>　アメリカからの約２０億ドルの財政援助と技術供与も取り付けられることになりました。<br>　エンジンは当初ゼネラル・エレクトリック製Ｆ４０４ターボファンを搭載する計画とされていましたが、プラット＆ホイットニー製（Ｐ&amp;Ｗ）ＰＷ１１２０が搭載されました。ＰＷ１１２０はＦ１５、Ｆ１６初期型にも搭載されたＰ＆Ｗ製Ｆ１００をベースの発展型で、ドライ最大推力６２．３ｋＮでアフターバーナー時９１．２ｋＮとされました。このエンジンも自国でのライセンス生産を視野に入れていたようです。エンジンの運転試験が１９８２年に開始されます。<br>ＩＡＩで計３００機を製造して１９９２年の就役開始を目指すとされました。<br>　１９４８年の建国後数度の戦争を経験してきたイスラエルが独自開発する戦闘機に世界の注目が集まるところとなりました。</p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="752" height="464" src="https://yskb6181.com/wp-content/uploads/2025/09/EqhQO1ZXMAAy-1y-1.jpeg" alt="" class="wp-image-1002" srcset="https://yskb6181.com/wp-content/uploads/2025/09/EqhQO1ZXMAAy-1y-1.jpeg 752w, https://yskb6181.com/wp-content/uploads/2025/09/EqhQO1ZXMAAy-1y-1-300x185.jpeg 300w" sizes="(max-width: 752px) 100vw, 752px" /><figcaption class="wp-element-caption">浅い角度を付けた主翼後縁が特徴的なLAVI</figcaption></figure>
</div>


<p class="wp-block-paragraph"><strong>ラビの特徴と評価</strong><br>　同じ頃イスラエルに於いて運用が始まりつつあった軽量戦闘機のＦ‐１６と比較してラビは小型で軽量であり、エンジンの推力はＦ‐１６のそれより小さいものの推力重量比はわずかに低いとされました。空気取り入れ口はＦ‐１６と同様の胴体下面にありますが、カナード翼付きの無尾翼デルタで主翼のデルタ翼の後縁に浅い角度が付いているのが特徴の一つで主翼面積は３８．５ｍ²でＦ‐１６より３８％大きくなっています。垂直尾翼はきつい後退角が付けられていて、後部胴体下にベントラルフィンが付けられています。他安定性を低減（機動性の確保）し、デジタル式フライバイワイヤを採用し飛行制御に寄与させるなど、これはＦ−１６と同様のアプローチが取られたと言えそうです。当時テストパイロットからは旋回等の機動性、エンジン出力の充足性等について良好な評価を得ていました。<br><strong>搭載機器、兵装等</strong><br>　コクピットについては、サイドスティック操縦桿、操縦桿とスロットルにてを置いたままの操作（ＨＯＴＡＳ）、広視野のヘッドアップディスプレイを採用しました。ボアサイト内複数同時目標追跡の多モード・パルス・ドップラーレーダーであるエルタＥＬ／Ｍ２０３５を機首に搭載しました。空対地モードについてはグラウンド・マッピング、地形回避。電子妨害ポッドも搭載可能としました。<br>　Ｆ‐１６と同様多彩な兵器の運用が可能で当時のイスラエル空軍が運用装備していたものに準じていました。ミラージュと同じくフランスＤＥＦＡ社製の３０ｍｍ機関砲を搭載、空対空ミサイルは赤外線誘導のラファエル社製パイソン３、空対地ミサイルとしてはラファエル社製ポップアイ、ＡＧＭ−６５マーベリック、他自由落下爆弾のＭｋ．８０シリーズ、ＩＡＩ社製ガブリエル対艦ミサイルといったところが挙げられます。<br><strong>試験飛行開始、しかしラビ計画は中止</strong><br>　初号機は１９８６年１２月に初飛行、２号機は１９８７年３月に初飛行し、この機体は８０回以上の飛行を記録、試作機は計５機製造されました。試作３号機、４号機では主翼が最終設計になり、ミッション電子機器の搭載も予定されているとされました。<br>　しかし１９８７年８月末イスラエル議会はラビ計画中止を議決しました。これより前の１９８３年時点でラビの開発費と１機当たりの価格は当初の見積もりの倍のそれぞれ１５億ドル、１５５０万ドルに膨れ上がり、財政支援と技術供与を行ってきたアメリカで見直されることになり、またその支援が無ければイスラエル単独での開発は不可能と判断されました。他イスラエルが独自に戦闘機を開発・量産・運用した場合、中東の軍事バランスにとって好ましくないとアメリカが判断し、圧力をかけられた結果ともされます。<br>　ラビ開発中止の代替えとして”ピース・マーブルⅢ”と呼ばれるアメリカからイスラエルへの３回目のＦ‐１６戦闘機売却が合意されました。Ｆ‐１６Ｃ／Ｄブロック４０の計６０機（Ｆ‐１６Ｃ、Ｆ‐１６Ｄ各３０機ずつ）が１９９１年８月から始まり１９９３年に完納されています。<br>　５機の試作機の製造のみで頓挫してしまう結果となったラビ計画ですが、イスラエルに於いてはこの開発全般を通じて技術的に得るものも少なからずあったようです。主力戦闘機として運用されているＦ−１６にそれが寄与していると考えられています。一つの形となって現れたのがＦ‐１６Ｉ”スーファ”と伝える向きもあります。<br>　他２０００年代前半から中国空軍で運用開始となった殲撃１０（<a href="https://yskb6181.com/archives/tag/%ef%bd%8a%e2%80%90%ef%bc%91%ef%bc%90" data-type="post_tag" data-id="34">Ｊ‐１０</a>）の開発に於いて、特にフライ・バイ・ワイヤ操縦装置や運動性向上技術機（ＣＣＶ）概念といった中国が不得意とした分野についてイスラエルが技術供与をしたとの情報もありますが、両国ともこれは否定しています。</p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full is-resized"><img decoding="async" width="600" height="206" src="https://yskb6181.com/wp-content/uploads/2025/09/5-4-1.jpg" alt="" class="wp-image-1015" style="width:796px;height:auto" srcset="https://yskb6181.com/wp-content/uploads/2025/09/5-4-1.jpg 600w, https://yskb6181.com/wp-content/uploads/2025/09/5-4-1-300x103.jpg 300w" sizes="(max-width: 600px) 100vw, 600px" /><figcaption class="wp-element-caption">殲撃１０とLAVI 機体の形状は主翼、垂直尾翼に差異があります。また機体サイズも。</figcaption></figure>
</div>


<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="800" height="431" src="https://yskb6181.com/wp-content/uploads/2025/09/lavi_17.jpg" alt="" class="wp-image-1019" srcset="https://yskb6181.com/wp-content/uploads/2025/09/lavi_17.jpg 800w, https://yskb6181.com/wp-content/uploads/2025/09/lavi_17-300x162.jpg 300w, https://yskb6181.com/wp-content/uploads/2025/09/lavi_17-768x414.jpg 768w" sizes="(max-width: 800px) 100vw, 800px" /><figcaption class="wp-element-caption">エンジンテスト中のラビ（ProHosting.com)</figcaption></figure>



<p class="wp-block-paragraph"></p>
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		<title>イスラエル空軍①</title>
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		<pubDate>Wed, 20 Aug 2025 08:17:46 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[Ｆ‐１６]]></category>
		<category><![CDATA[イスラエル]]></category>
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					<description><![CDATA[Ｆ‐１６の配備・運用と実戦記録①　”ピース・マーブルⅠ”そして”Ｆ‐１６初めての実戦” キャンプ・デービット合意とＦ‐１６供給　５０年近くの約半世紀の長きに渡り、また多くの世界各国で運用されているＦ−１６戦闘機。　Ｆ−１ [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<h2 class="wp-block-heading">Ｆ‐１６の配備・運用と実戦記録①　<br>”ピース・マーブルⅠ”そして”Ｆ‐１６初めての実戦”</h2>



<p class="wp-block-paragraph"><strong>キャンプ・デービット合意とＦ‐１６供給</strong><br>　５０年近くの約半世紀の長きに渡り、また多くの世界各国で運用されているＦ−１６戦闘機。<br>　Ｆ−１６の古参ユーザーであるイスラエル。１９８０年〜１９９４年にかけて総数３６２機（２０２４年３月時点の運用数は２２４機程）のＦ−１６を導入し、またＦ‐１６をはじめて実戦使用した国でもあります。<br>　第四次中東戦争後の１９７５年からイスラエル政府はＦ‐１６についてアメリカ政府に対し導入を求めるようになりました。それまでイスラエルはアメリカから一定数のマクドネル・ダグラス製のＦ‐４ファントム、Ｆ‐１５Ａ／Ｂイーグルを購入していましたが、戦闘能力と費用対効果、相当数の戦闘機を揃える事を重視して、小型軽量の戦闘機Ｆ−１６に着目しました。<br>　当時のアメリカ大統領ジミー・カーターは中東の軍事バランスに配慮してＦ−１６のイスラエル輸出には慎重な姿勢でしたが、エジプトとの対話外交に応じてきたイスラエルの姿勢を評価し、方針転換してイスラエルにＦ−１６を供与することを１９７８年８月に承認しました。”ピース・マーブル（平和の大理石）Ⅰ”と命名されました。それと前後する形でイスラエルとエジプトの間でアメリカ仲介の元、１９７８年９月キャンプ・デービット合意〜１９７９年３月平和条約締結署名が成立しています。<br>　また１９７９年のイランでは、イスラム革命運動によりパーレビー国王の亡命とホメイニーを盟主とする”イラン・イスラム共和国”の成立という大きな体制転換がありました。この親米〜反米路線の体制転換により、当初イランが供与を受ける筈のＦ‐１６の割当がイスラエルに回されたとも伝えられます。<br>　イスラエル空軍（ＩＡＦ）のパイロットと整備員は１９７９年末からアメリカ・ユタ州ヒル空軍基地で訓練を受けて、翌１９８０年１月３１日テキサス州フォートワースでの式典を経てＦ‐１６の取得が始まりました。取得したＦ‐１６は”ファイティング・ファルコン”ではなくヘブライ語で”鷹”を意味する”ネッツ”と呼ばれました。<br>　”ピース・マーブルⅠ”はＦ‐１６Ａ／Ｂブロック１０が計７５機で約１２億ドルの契約でＦ‐１６Ａが６７機、Ｆ‐１６Ｂが８機という内訳で引渡しは１９８０年に開始され１９８１年には完了しました。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="576" src="https://yskb6181.com/wp-content/uploads/2025/07/dda1cc-1024x576.webp" alt="" class="wp-image-884" srcset="https://yskb6181.com/wp-content/uploads/2025/07/dda1cc-1024x576.webp 1024w, https://yskb6181.com/wp-content/uploads/2025/07/dda1cc-300x169.webp 300w, https://yskb6181.com/wp-content/uploads/2025/07/dda1cc-768x432.webp 768w, https://yskb6181.com/wp-content/uploads/2025/07/dda1cc-1536x864.webp 1536w, https://yskb6181.com/wp-content/uploads/2025/07/dda1cc.webp 1920w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /><figcaption class="wp-element-caption">２機編隊のＦ‐１６Ａ”ネッツ”。手前が記録した撃墜数で伝説となった１０７号機（www.twz.com)</figcaption></figure>



<p class="wp-block-paragraph"><strong>Ｆ−１６初めての実戦、撃墜を記録</strong><br>　Ｆ−１６の初めての実戦は１９８１年４月にイスラエル空軍により記録されました。<br>　１９８１年４月２２日第１１０飛行隊の４機がレバノンのパレスチナ解放機構（ＰＬＯ）の拠点を爆撃。４月２８日にレバノンキリスト教民兵に対し攻撃を加えたシリア軍と交戦、イスラエル空軍のＦ‐１６Ａがレバノンのザーレ近郊でシリア軍のＭｉ‐８”ヒップ”ヘリを撃墜しました。午後１２時１４分、第１１７飛行隊ラフィ中尉の７８−０３１４号機のＦ‐１６がＭｉ‐８”ヒップ”ヘリにミサイルを発射するも失敗。その後２０ｍｍ機関砲により撃墜しました。その後にも同じ１１７飛行隊のヤッフェ少佐がＡＩＭ‐９ＬサイドワインダーでＭｉ‐８を撃墜しました。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="768" src="https://yskb6181.com/wp-content/uploads/2025/08/8732-1024x768.jpg" alt="" class="wp-image-961" srcset="https://yskb6181.com/wp-content/uploads/2025/08/8732-1024x768.jpg 1024w, https://yskb6181.com/wp-content/uploads/2025/08/8732-300x225.jpg 300w, https://yskb6181.com/wp-content/uploads/2025/08/8732-768x576.jpg 768w, https://yskb6181.com/wp-content/uploads/2025/08/8732.jpg 1296w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /><figcaption class="wp-element-caption">シリア軍　Ｍｉ−８ヘリ</figcaption></figure>



<p class="wp-block-paragraph">　この約1ヶ月後の１９８１年６月７日には「オペラ」作戦とも「バビロン」作戦とも言われるイラク「オシラク」原子炉をイスラエルが空爆した衝撃的な軍事行動が起こります。</p>
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