冷戦終結後の中立国
フィンランド空軍は古く、誇り高い伝統をもち、世界から一目置かれる存在です。
1928年5月に発足、1939年の冬季戦争と1941年から1944年の継続戦争に於いてソ連と抗戦するなかでもフィンランド空軍は重要な役割を果たしました。
第二次大戦後ソ連との戦闘後の冷戦期で長く武装中立政策を敷き、今般はウクライナ情勢等から2023年4月NATO加盟に至ったフィンランドですが、冷戦終結後の1990年代前半の航空戦力について。
当時経済的繁栄により安定していたフィンランドはロシアとの関係に配慮しつつ中立の多少西側寄りの路線を取っていましたが、その装備調達は東側と西側の両方から兵器を導入していました。もちろんこれは航空戦力の装備品を競争価格で購入することも可能にしていました。1947年策定のパリ条約で戦闘機に関して60機までという厳しい制限の機数でロシア(ソ連)からはMiG−21、スウェーデンからはサーブ・ドラケンを購入し配備していました。
MiG‐21の制式採用
フィンランドは東欧以外の欧州諸国で唯一、MiG‐21を制式採用しました。1962年にソ連にパイロットを送り、MiG‐21F‐13転換訓練を開始、1963年にMiG−21F−13を22機受領されています。うち9機は偵察機仕様に改造され、5機が事故で失われています。最初導入されたMiG−21F−13は10機が1985年まで運用され、数機が1986年1月まで偵察部隊として残存しました。
新しい量産型MiG‐21bis”フィッシュヘッドN”が1977年から導入を開始されました。2回に分けて導入されたのは27機でこのうち1990年代に20機ほどが残存して運用されていました。6機が偵察機仕様へと改造され運用されていました。運用期間中MiG‐21bisは6機失われましたが1998年まで運用され、F/Aー18Cホーネットへ転換されました。

最も運数数の多かった戦闘機サーブ・ドラケン
隣国スウェーデンからサーブ・ドラケンをフィンランドは導入しましたが、デンマークに次いで2番目の輸入国となりました。フィンランド向けのドラケンはSAAB35XSと呼称され、フィンランドの国コード”SF”(Suomi Finland)に由来します。フィンランドは1970年4月に12機の35XSを発注し、自国バルメット社製のノックダウン生産としました。このノックダウン生産は1974年4月〜1975年7月まで行われ12機が納入。これに先立ってパイロット訓練用として1973年には6機のサーブ35FSをリースで導入、これは上記バルメット社製12機が納入されるまでの繋ぎの機体でしたが、1975年にはスウェーデン空軍の中古の機体J35FS 6機と複座型J35CS 3機と一緒に買い取ることにしました。さらに1984年には同じくスウェーデン空軍の中古の機体J35FS 18機と複座型のJ35CS 2機を購入しました。


その他の運用機種、etc
ホークT.Mk51は6機が各戦術航空団にある訓練部隊に配備され、さらに6機が偵察任務に当たっていました。本機を運用して西部カウハーバー基地で高等訓練任務に運用されていました。
7機のパイパー・チーフテンが連絡及び軽輸送任務、国産のバルメット社製ビンカはフィンランド航空大学で基礎訓練と戦術航空団の連絡小隊に使用され、パイパー・アローは連絡小隊とカウハーバー航空大学の初等訓練で運用されました。
また捜索救難、国境パトロールのヘリ部隊にはミルMi‐8も使用されていました。



当時フィンランド機には機体に3桁の通し番号をつけて、その前に機種2文字のコードが付けられていました。DKはドラケン、MGはMiG、HKはホークです。
1990年代以降の戦闘機運用
1990年代前半運用する戦闘機は旧式化しており交代機が検討されました。
検討対象は多くサーブ・グリペン、ゼネラル・ダイナミクスF‐16、ダッソー・ミラージュ2000、他ロシアのスホーイSu−27”フランカー”、MiG−29”フルクラム”についてもフィンランド空軍で評価が行われました。
最終的に選定されたのは1998年から運用開始されたマクダネル・ダグラス・ホーネットF/A‐18C、Dとなっています。
