F‐16の配備・運用と実戦記録① 
”ピース・マーブルⅠ”そして”F‐16初めての実戦”

キャンプ・デービット合意とF‐16供給
 50年近くの約半世紀の長きに渡り、また多くの世界各国で運用されているF−16戦闘機。
 F−16の古参ユーザーであるイスラエル。1980年〜1994年にかけて総数362機(2024年3月時点の運用数は224機程)のF−16を導入し、またF‐16をはじめて実戦使用した国でもあります。
 第四次中東戦争後の1975年からイスラエル政府はF‐16についてアメリカ政府に対し導入を求めるようになりました。それまでイスラエルはアメリカから一定数のマクドネル・ダグラス製のF‐4ファントム、F‐15A/Bイーグルを購入していましたが、戦闘能力と費用対効果、相当数の戦闘機を揃える事を重視して、小型軽量の戦闘機F−16に着目しました。
 当時のアメリカ大統領ジミー・カーターは中東の軍事バランスに配慮してF−16のイスラエル輸出には慎重な姿勢でしたが、エジプトとの対話外交に応じてきたイスラエルの姿勢を評価し、方針転換してイスラエルにF−16を供与することを1978年8月に承認しました。”ピース・マーブル(平和の大理石)Ⅰ”と命名されました。それと前後する形でイスラエルとエジプトの間でアメリカ仲介の元、1978年9月キャンプ・デービット合意〜1979年3月平和条約締結署名が成立しています。
 また1979年のイランでは、イスラム革命運動によりパーレビー国王の亡命とホメイニーを盟主とする”イラン・イスラム共和国”の成立という大きな体制転換がありました。この親米〜反米路線の体制転換により、当初イランが供与を受ける筈のF‐16の割当がイスラエルに回されたとも伝えられます。
 イスラエル空軍(IAF)のパイロットと整備員は1979年末からアメリカ・ユタ州ヒル空軍基地で訓練を受けて、翌1980年1月31日テキサス州フォートワースでの式典を経てF‐16の取得が始まりました。取得したF‐16は”ファイティング・ファルコン”ではなくヘブライ語で”鷹”を意味する”ネッツ”と呼ばれました。
 ”ピース・マーブルⅠ”はF‐16A/Bブロック10が計75機で約12億ドルの契約でF‐16Aが67機、F‐16Bが8機という内訳で引渡しは1980年に開始され1981年には完了しました。

2機編隊のF‐16A”ネッツ”。手前が記録した撃墜数で伝説となった107号機(www.twz.com)

F−16初めての実戦、撃墜を記録
 F−16の初めての実戦は1981年4月にイスラエル空軍により記録されました。
 1981年4月22日第110飛行隊の4機がレバノンのパレスチナ解放機構(PLO)の拠点を爆撃。4月28日にレバノンキリスト教民兵に対し攻撃を加えたシリア軍と交戦、イスラエル空軍のF‐16Aがレバノンのザーレ近郊でシリア軍のMi‐8”ヒップ”ヘリを撃墜しました。午後12時14分、第117飛行隊ラフィ中尉の78−0314号機のF‐16がMi‐8”ヒップ”ヘリにミサイルを発射するも失敗。その後20mm機関砲により撃墜しました。その後にも同じ117飛行隊のヤッフェ少佐がAIM‐9LサイドワインダーでMi‐8を撃墜しました。

シリア軍 Mi−8ヘリ

 この約1ヶ月後の1981年6月7日には「オペラ」作戦とも「バビロン」作戦とも言われるイラク「オシラク」原子炉をイスラエルが空爆した衝撃的な軍事行動が起こります。

\ 最新情報をチェック /

By chikumade233

中国人民解放軍主要装備他、気の向くままに軍事に関して掲載します。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


PAGE TOP